圧倒的自我〜ママは療育保育士〜

2歳の息子の成長記録と療育保育士の話

タグ:障害受容

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ここで分かってほしいのが「そんなに期待するから苦しくなるのよ」と言いたい訳ではないのです。

良い学校を受験する、習い事をたくさんしてスキルを高める、留学をする・・・など
高望みをしていたと言うより
おそらくその人達にとっての「普通」 はそうだったのだと思います。
 
自分がそうやって育ってきたから、子供も・・・と自然になったんじゃないかな。
(もちろん自分はこうだったから、子供には良い教育を!と意気込んでた人もいると思いますが。 )
 

でもやはり子供に望んでいたものと
実際に障害児を育てる生活とが
あまりにかけ離れてしまうと辛いですよね。
 

 
どう擦り合わせて生きていくか
どう受容して認めていくかは
長い時間をかけて少しずつ馴染んでいくものだし
色々な出会いや言葉を経て「きっとこんな感じなのだろう」と分かってくるんじゃないかな。


保育者や教育関係者はそんな親御さんに
寄り添いながら
一緒の目線で子供を見守っていけると良いですよね。

 

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例えば

幼稚園や保育園の集団のみでも
障害や発達の理解がある先生がしっかりついてくれて
きちんと色々教えてフォローしてくれる環境にあるなら
療育はなくても大丈夫かもしれません。

ただ療育は「その子の発達を伸ばすための、その子の為のプログラム」なので
その子の為の運動器具の設定、その子の為の手先課題の設定、遊びの設定が出せるのは
集団に比べてかなりの強い所。



またどうしても集団生活のみだと定型発達の子だらけなので
その場で活躍をする事、発言する事が難しい子は多いです。
でも療育の場では自分を出して活躍できるので、自信に繋げる事もできます。


 

とは言いつつ、療育に通うことに抵抗がある親御さんは珍しくないですし
障害や遅れがあることを認めたくない方も多いです。
 
でも別に受容できていないまま通ってくれても全然構いません。
「こんな所来たくなかったわ」「こんな筈じゃなかったのに」と思いながら来てくれても大丈夫です。

一緒にその子のことを受け止めていきましょうね、という気持ちで
スタッフは受け入れてくれると思います。 

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息子ちゃん(2歳)は切り替え悪男なので、何かと足止めをくらいますß。
なお、息子ちゃんの育児は、療育で学んだ「普通の対応をしない」が生かされておりますので、彼を動かす時は、「いつのまにか全部やらされてた」を狙ってます。

例えばお風呂に入れる時。
普通に「お風呂行こう」と言うと、絶対に嫌だと言われます。

なので、奇抜な動きでサンバを踊りながら近づいて、息子が「なんか楽しそうだぞ」と真似しはじめたら、どさくさに紛れて服を脱ぐ・・・それを息子が真似して服を脱ぐ・・・。
そのまま奇抜な動きで風呂に向かうと、息子も後ろをパレードのようについてくる・・・。 
みたいなややこしいことをしています。 


親って大変!!!!!!!!


さて本題ですが、障害は治るのかと言う話。


治りません!!!!!!!


でも、2〜3歳の頃は特性が強く出て大変だった子が、療育や集団生活で段々と特性が薄れて、能力も全般的に上がり、就学する頃には「かなり普通の子に近いのでは?」となることもあります。

また、「見る人が見れば分かるかもだけど、言わなければ障害児とは思われないかもね」くらいになることもあります。


もちろん逆もあります。
最初は「ほとんど遅れはないんじゃないか」と言われていたのに、成長するに従って差が出て来たり、問題が出てくることも珍しくはありません。


子供の成長は良くも悪くも未知数です。








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この業界にいると、たまに「自分は障害者なのか」と聞かれるのですが、正直ドッキリします。
自分が答える一言でかなり影響が出る様な気がして。
(でも多分、色々な人に聞いているのかなとも思いますが)

どう答えるのが正解なんですかね?

隠すのも違うと思う。
でも第三者から「お前は支援学級にいるから障害者だろ」みたいな言われ方をして知って欲しくないなあ。 

軽度の子が重度の子をバカにするのって、自分が定型発達の子にバカにされた言葉をそのまま言っていたりするんですよね。 
その子自身も愛の手帳を持っているのに、重度の子に向かって「がいじ(障害児の略)」と言っている所も何度か見たかな。 

あと「私は親の都合でここにきてるけど、障害者じゃない。あいつらとは違う」と言っている子もいました。

障害の認知ってアイデンティティに関わる問題ですよね。 
今回の漫画もバッドエンドです。
でも障害者福祉の世界って、後味悪い結末や未解決な事ってたくさんあります。

せめて今幸せに暮らしていてくれたら・・・と思うのですが。 

ちなみに今同じことを聞かれたら
「そうだね。苦手な事に少しフォローは必要な人かもね。何か心配な事や困ってる事はある?」って言うかな。 

 

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「子供が生まれたらあれをしてあげたい」「こんな風に子育てしたい」と理想の子育てを思い描くのは、大体の人に少なからずあると思います。
そうやって子供が生まれてくるのを楽しみにしていたら、「あれ?何か他の子と違うぞ」となり、早ければ生まれた時に障害が発覚。
もしくは1歳、2歳と過ぎていくうちに指摘されたり、気付いたり。

障害によっては、自分がしてあげたかったことができない事も多いです。
時間が経ってその子が成長すれば達成する事もありますが、「私立の学校に入れて勉強をしっかりさせてあげたい」「ピアノや芸術を学ばせたい」「スポーツをやらせたい」 「いずれは海外留学させたい」といった希望だと、障害の重さによっては難しい事もしばしば。


「できない事」「できなかった事」に注目が行くと悲しくなりますよね。

よく「発達はゆっくりだけど成長して行くから」という励ましの言葉がありますが
成長はしていくけど、最終的に追いつく訳ではない。
成長のゆっくりさがもどかしかったり、他の子との差に落ち込んでしまう親御さんは多いです。


みんながみんな前向きに受容していける訳ではないし
前向きそうに見える人だって
数多くの困難や苦悩を乗り越えてのことだと思います。 


でもやはり乗り越えるのが前提だと辛くなる人も多い。
みんながみんな乗り越えられる訳でもないですからね。


色々な子供がいていい・・・というように
色々な親がいていい・・・と私は言いたい。 

 




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